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ペップの戦術!現代に復活した逆ピラミッド!

■ 現代に復活した逆のピラミッド

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グアルディオラマンチェスター・シティの監督に就任するやいなや、非常に独創的な戦術システムを導入している。

バルセロナバイエルンを率いていた頃と同じように、中盤の抑え役を1人だけにする方法を好んだのである。これはミッドフィールドの中央に2人の選手を配置するという、シティの伝統的なアプローチと異なっていた。

そのキーマンとなったのは、ブラジル代表の守備的ミッドフィルダーフェルナンジーニョだった。

もともとフェルナンジーニョは、ボックス・トゥ・ボックス型のミッドフィルダーだったが、より守備的に試合をコントロールしていく役割を担うようになり、ヤヤ・トゥーレとコンビを組んでいた。

だが彼はグアルディオラの監督就任によって、1人で中盤の抑え役を務めるようになる。これに伴い、トゥーレは居場所を失っていった。

一方グアルディオラは、ケヴィン・デ・ブライネとダビド・シルバフェルナンジーニョの前方に並べ、「8番」(セントラルミッドフィルダー) として起用するという大胆な策も採った。

従来、デ・ブライネとシルバは、もっと攻撃的な役割を担う選手だと見なされていた。基本的にはいずれも「0番」タイプであり、必要とあらばワイドに大きく開いたポジションでプレーしつつ、内側に流れてくることもできる選手だと考えられていた。

その意味ではデ・ブライネであるとシルバであるとを問わず、いずれかを後方に下げて起用するということ自体、かなり勇気のいる決断になるはずだった。

本来「8番」の選手は、守備陣と攻撃陣をつなぐ役割もこなさなければならないし、「10番」の選手よりもかなり運動量が求められてくる。ましてやシルバやデ・ブライネのようなタイプにこの役割を授けようとするなら、額に汗して精力的に走り回るハードワーカーとコンビを組ませるのが定石になる。

ところがグアルディオラは、デ・ブライネとシルバの両方を中盤に組み込み、その背後をフェルナンジーニョにガードをさせる方式を採った。結果、2017/18シーズンのシティでは、プレミアリーグ史上、もっともテクニックに秀でたトリオが形成されることになった。

しかもデ・ブライネとシルバは、巧みに連動しながらすぐに新しい役割をこなしてみせた。とりわけチャンピオンズリーグプレーオフステアウア・ブカレスト戦では圧巻のプレーを展開している。

この試合はアグエロハットトリックを達成。二度のPKをはずしたにもかかわらず、シティが5,0で相手を一蹴した試合として印象深い。デ・ブライネとシルバはパスを交換しながら中盤を走り続け、ゲームを動かし続けた。

「これは(今までと)違う役割なんだ」。

デ・ブライネは、自分が担った新たな役割について解説している。

「監督は独自の戦術を使っている。僕は10番としてじゃなくて、どこにでも動き回る「自由な8番」としてプレーしたんだ」

以前にシティがタイトルを獲得した際には、ワイドに開いたプレーメイカー、シルバとサミ・ナスリが内側に流れてくることによってチャンスが作り出されていた。

だがグアルディオラは、シルバとデ・ブライネを中央に固定する一方、ワイドに開いたポジションには純粋なウインガーを配置している。しかも彼らは大抵の場合、利き足と同じサイド、つまり「順足」の位置についた。右サイドにはラヒーム・スターリングを、左側には新加入のレロイ・サネがおもに配置されている。

彼らはタッチライン沿いに張り続けることによって「幅」を確保し、敵のフォーバックを横方向に間延びさせる役割を請け負っていた。これはグアルディオラバルセロナ時代、ワイドな位置に開いた攻撃的選手に求めていたのと同じプレーである。

両サイドにウインガーがいれば、敵のセンターバックサイドバックの間には必然的にギャップが生まれる。

そこにデ・ブライネとシルバが、フォワードと絡みながら飛び込んでいくというのが、シティの攻撃パターンになっていた。

結果、グアルディオラ指揮下の新生シティでは、サネ、シルバ、アグエロ、デ・ブライネ、そしてスターリングという5人が攻撃陣の1列目に並ぶ形が頻繁に見られた。ピッチ全体に配置された選手の位置に着目するなら、シティの試合では1世紀ほど前、イングランドのサッカー界で幅広く採用されていた逆型のビラミッドに似た陣形が蘇ったのである。

とはいえ「ファイブトップ」のようなシェイプには、相応の危険も伴う。抑え役のミッドフィルダーであるフェルナンジーニョにかかる負担が、当然のように大きくなってしまう。

しかしグアルディオラは、バイエルン・ミュンヘン時代と同じような方法でこの問題に対処した。

サイドパックを内側に絞らせ、中盤における守備をサポートさせたのである。

ちなみにバイエルンでは、若い頃はいずれもミッドフィルダーで、間違いなく世界トップクラスのサイドバックに成長したフィリップ・ラームダヴィド・アラパを起用している。

シティではテクニックの面で見劣りし、いずれも3代を超えていたガエル・クリシーバカリ・サニャパブロ・サバレタに、新たなノウハウを教えることになった。

この方式は2016/17シーズンの開幕戦、サンダーランドに2-1で勝利を飾った一戦では特に顕

著に見られた。

右のサイドバックであるサニャと、逆サイドのクリシーは内側に移動し、守備的ミッドフィルダーフェルナンジーニョと中盤のトリオを形成したのである。

しかもフェルナンジーニョは後方に下がり、2人のセンターバックの中間に当たるようなポジション取りをしたため、シティはフォーバックをベースにしながら、実質的にはスリーバックに近いような布陣にも変化していった。

フェルナンジーニョはサイドをケアすることもできたため、ディフェンスラインはフォーバックからツーバック、あるいは独特なスリーバックへと自在に変化している。

このスリーバックもまた、数十年前のアーセナルのフォーメーションを彷彿とさせるものだとして大きな話題を呼んでいる。

ついに登場した稀代の戦術家ペップグアルディオラ!!

■ついに登場した稀代の戦術家

2016年の夏、マンチェスター・シティの監督に就任したペップ・グアルディオラには、大きな期待が寄せられていた。彼ほどプレミアリーグへの登場が待望された監督は、他にいなかったと言っていいだろう。

 

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イングランドのサッカー界は、プレミアリーグこそがヨーロッパでもっとも高い評価を得ている監督たちが集うべき場所だと、自認するようになっていた。

それだけに2013年、グアルディオラプレミアリーグの巨人ではなく、ドイツサッカー界の皇帝であるバイエルン・ミュンヘンを選んだ際には、多くの人が肩を落としている。

だが3年後、グアルディオラはプレミア行きをついに決意する。彼に決断を促したのは、古くからの友人であり、バルセロナでもともにクラブを運営したチキ・ベギリスタインだった。ベギリスタインはシティにおいて、サッカー部門のディレクターを務めていたからである。

「チキは僕の人生にとって本当に、本当に大切な存在になってきた」。グアルディオラはシティの監督に就任した際に述べている。「自分がまだまったく無名で、何の実績がなかった頃も、彼は僕を信頼してバルセロナを任せてくれた。すばらしいクラブとすばらしい選手たちをね。僕は彼にこう言ったことがある。

僕はいずれイングランドに行くし、君がどこかのクラブに関わっていたら、君のところに行くよとね。

キがこのクラブにいるというのは、僕にとってきわめて重要だった」

グアルディオラが指揮を執り始めると、関係者の期待はさらに高まっていく。

むろん、1996年からアーセナルを率いたアーセン・ヴェンゲルや、2004年にチェルシーの指揮

を執り始めたジョゼ・モウリーニョも、他のクラブを驚かせるような新機軸を導入している。だがグアルディオラこそは、イングランドのサッカー界がかつて目撃したことがないようなサッカーを実現させるだろうと考えられていた。

とはいえ、これは容易な作業ではなかった。新たなアイディアを持ち込んで成功を収めるためには、大きなインパクトを与えることが不可欠になる。だがグアルディオラの影響は、すでにブリテン島にも強く及んでいた。

たとえばグアルディオラは2008年から2012年まで、バルセロナを率いて圧倒的な強さを発揮した。

この4年間にはスペイン代表が国際大会を総なめにしたため、プレミアリーグでも「ティキ・タカ」は広く認知されるようになっていた。辛抱強くパスを回していくスタイルを評価するような、新たな土壌が育まれたことはすでに指摘したとおりである。

だが現実的には、プレミアリーグのクラブは、本家本元に遠く及ばなかった。アーセナルマンチェスター・シティポゼッションサッカーを追求したとはいえ、グアルディオラが指揮したチームに比べれば、戦術的に洗練されていなかったと言わざるを得ない。

これはサッカー文化にも原因がある。

たしかにグアルディオラの才能を疑う人はほとんどいなかった。またバルセロナバイエルンで成し遂げた実績が、高く評価されていたことも繰り返すまでもない。

だがイングランドには、グアルディオラが掲げるサッカーのイデオロギーと、本質的に折り合わないような要素も色濃く残っていた。

事実、サッカー関係者の中には、グアルディオラプレミアリーグに完全に適したチームを構築できるか否かについて、疑念を口にする人々もいた。その理由としてあげられたのは天気の悪さ、過密を極める冬の試合日程、ファウルをあまり取ろうとしない審判の基準、そして昔ながらのロングボールを駆使する格下チームの存在といった要素である。そもそもイングランドサッカーは、昔からフィジカルの強さに重きを置いてきた。テクニックを何より尊ぶアプローチとは、根本的な発想自体が異なっていたのである。

だがグアルディオラは、このような条件を承知の上でシティを率いることを決断。プレミアリーグという名の新天地で、ポゼッションサッカーを次のレベルに進化させようと試みた。

 

 

エデルソンは、サイドバックの選手だった?!?

前の記事でエデルソンを取り扱ったので、エデルソンについても、書きたいと思います!

ベンフィカからマンチェスター・シティに移籍したエデルソン。グアルディオラ戦術に合う足元の技術とパス能力を持つ若手GKとして大きな期待を受けている。

しかし、彼はサッカーを始めた時からゴールキーパーだったわけではなく、最初はサイドバックを務めていたのだという。

ではなぜそのポジションを続けなかったのか?彼は以下のように話したとのこと。 

「サッカーを始めた時、僕は左サイドバックとしてプレーしていたんだ。

しかし、僕は相手の選手と対戦するときにサボりすぎてしまう癖があってね。だから監督からゴールに行けと言われたんだ。

そして、僕はこのポジションへの情熱を生み出し始めたんだ。

すぐにこれが好きになって、努力を続けて、ついに最初のクラブにまでたどり着かせてくれたんだ」

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サボり癖が、あったとは、笑笑

以外でしたね!

 

 

プレーメーカーとしてのGKの役割

今では、エデルソンなどのプレーメーカーとしてのGKは、いるものの最初にその役割を定着させたのはシュマイケルです。

(カスパーシュマイケルのお父さん)f:id:leoblogkun:20201122005103j:image

 

彼は足ではなく手を使ったボールの処理、すなわちスローイング(すごく遠くにボールを投げることができたので、)新たなプレースタイルを実践していった。

エデルソンとはタイプの違うプレーメーカーのGKでした。エデルソンは足元がうまいタイプです。

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このシュマイケルのロングスローが、基本的な武器の一つになった。

シュマイケルはロングスローで、アシストさえも記録しているほどだ!!

 

GKは11人目のフィールドプレーヤーであることがわかる。

逆にボールがうまくさばけないと、時代から取り残されることになると思う。

 

#エデルソン #GK   #プレミアリーグ #サッカー

サッカーの戦術について!

 

Get it in the mixer 

これは(ボックスの中にボールを放り込め!)

という意味です。

この言葉はサッカーで、1番簡単な戦術です。

今では嘲笑われていますが、少し前まではプレミアリーグでは、もっとも一般的な戦術でした。

少し前まで、ディフェンダーは守備だけを行い、フォワードは攻撃だけを行う。という発想でした。

ここから、現在のプレミアリーグにどのように変わっていったのかを、このブログでは、書いていきたいと思います。

 

よろしくお願いします!!

 

ちなみに私はマンチェスターシティの大ファンです!

マンチェスターシティの情報もバンバン載せていきます!!