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ついに登場した稀代の戦術家ペップグアルディオラ!!

■ついに登場した稀代の戦術家

2016年の夏、マンチェスター・シティの監督に就任したペップ・グアルディオラには、大きな期待が寄せられていた。彼ほどプレミアリーグへの登場が待望された監督は、他にいなかったと言っていいだろう。

 

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イングランドのサッカー界は、プレミアリーグこそがヨーロッパでもっとも高い評価を得ている監督たちが集うべき場所だと、自認するようになっていた。

それだけに2013年、グアルディオラプレミアリーグの巨人ではなく、ドイツサッカー界の皇帝であるバイエルン・ミュンヘンを選んだ際には、多くの人が肩を落としている。

だが3年後、グアルディオラはプレミア行きをついに決意する。彼に決断を促したのは、古くからの友人であり、バルセロナでもともにクラブを運営したチキ・ベギリスタインだった。ベギリスタインはシティにおいて、サッカー部門のディレクターを務めていたからである。

「チキは僕の人生にとって本当に、本当に大切な存在になってきた」。グアルディオラはシティの監督に就任した際に述べている。「自分がまだまったく無名で、何の実績がなかった頃も、彼は僕を信頼してバルセロナを任せてくれた。すばらしいクラブとすばらしい選手たちをね。僕は彼にこう言ったことがある。

僕はいずれイングランドに行くし、君がどこかのクラブに関わっていたら、君のところに行くよとね。

キがこのクラブにいるというのは、僕にとってきわめて重要だった」

グアルディオラが指揮を執り始めると、関係者の期待はさらに高まっていく。

むろん、1996年からアーセナルを率いたアーセン・ヴェンゲルや、2004年にチェルシーの指揮

を執り始めたジョゼ・モウリーニョも、他のクラブを驚かせるような新機軸を導入している。だがグアルディオラこそは、イングランドのサッカー界がかつて目撃したことがないようなサッカーを実現させるだろうと考えられていた。

とはいえ、これは容易な作業ではなかった。新たなアイディアを持ち込んで成功を収めるためには、大きなインパクトを与えることが不可欠になる。だがグアルディオラの影響は、すでにブリテン島にも強く及んでいた。

たとえばグアルディオラは2008年から2012年まで、バルセロナを率いて圧倒的な強さを発揮した。

この4年間にはスペイン代表が国際大会を総なめにしたため、プレミアリーグでも「ティキ・タカ」は広く認知されるようになっていた。辛抱強くパスを回していくスタイルを評価するような、新たな土壌が育まれたことはすでに指摘したとおりである。

だが現実的には、プレミアリーグのクラブは、本家本元に遠く及ばなかった。アーセナルマンチェスター・シティポゼッションサッカーを追求したとはいえ、グアルディオラが指揮したチームに比べれば、戦術的に洗練されていなかったと言わざるを得ない。

これはサッカー文化にも原因がある。

たしかにグアルディオラの才能を疑う人はほとんどいなかった。またバルセロナバイエルンで成し遂げた実績が、高く評価されていたことも繰り返すまでもない。

だがイングランドには、グアルディオラが掲げるサッカーのイデオロギーと、本質的に折り合わないような要素も色濃く残っていた。

事実、サッカー関係者の中には、グアルディオラプレミアリーグに完全に適したチームを構築できるか否かについて、疑念を口にする人々もいた。その理由としてあげられたのは天気の悪さ、過密を極める冬の試合日程、ファウルをあまり取ろうとしない審判の基準、そして昔ながらのロングボールを駆使する格下チームの存在といった要素である。そもそもイングランドサッカーは、昔からフィジカルの強さに重きを置いてきた。テクニックを何より尊ぶアプローチとは、根本的な発想自体が異なっていたのである。

だがグアルディオラは、このような条件を承知の上でシティを率いることを決断。プレミアリーグという名の新天地で、ポゼッションサッカーを次のレベルに進化させようと試みた。